気になる家相と風水との違いは何でしょうか?
家相(かそう)や風水(ふうすい)という言葉を一度ぐらいは聞いたことがあるかもしれませんね。
「病気になったのは家相が悪いからかも。なんせ鬼門にトイレがあるし。」
「風水ではこの場所に黄色いものを置くと金運が上がるんだって。」
そんなことを考えて、少し不安になったりして、モヤモヤしている時に・・・
「ご主人が病気になったのは、ズバリそこに○○があるからです。ご主人にとってその方角はあまりよくありません。直ちになおさないととんでもないことになるかもしれません。」と家相や風水の先生に言われた日には・・・
もう不安で仕方なくなり、あせってリフォームを手配してしまったり、何から手を付けていいかわからず、ただひたすら悶々とする人もいます。
もし家相や風水のことが気になるのであれば、基本的なことを正しく理解しておくことで、不安は解消されるでしょう。
古来の風水は家相の根源にあるもの
風水の歴史は古く、なんと紀元前10世紀以前に古代中国で生まれたとされています。
もともとは宅地や村落を占うもので、その後「陽宅風水」につながり、さらに時を経て「陰宅風水」にも発展しました。
陽宅とは生きている人の家のことで、隠宅は死んだ人の家、つまりお墓のことを指しています。
古代中国では風水でお墓のことまで占っていたことには驚きですね。
風水とは家だけでなく、都市や建物、お墓にいたるまでの場所やつくりの吉凶禍福を決定するための思想のことです。
それには地理、つまり地形を読み取り、時間や場所によって変化する気の流れを制御することも含みます。
「気の流れを制御する」目に見えないだけにわかりにくいですよね。
中国では現代においても、高層ビル建設などで、気の流れを取り入れていることは有名な話です。
家相は家についての吉凶禍福を決定するもので、古代中国では「風水家相学」と「気学家相学」がありました。
紀元前770年ごろにうまれた「陰陽五行思想」が家相に影響を与えています。
その後日本に入り、日本独自の変化を遂げ、現代の家相があるわけです。
家相のルーツは古代中国の風水の思想にありますが、日本に入った時点(奈良時代といわれている)ですでに変化し、そこからそれぞれの時代の有識者の見解が加わり、時には曲解もあった可能性もあり、乱暴な言い方をすれば「別物」になっている可能性が高いでしょう。
現代日本の風水は本来の風水とは少し違うかも?
日本での風水は比較的近年まであまり表舞台に登場していませんでした。
一般的に平城京、平安京をつくるときに風水を活用したと言われていますが、古代中国のそれではなく、すでに日本独自の考え方になっていた可能性が高いようです。
1994年の荒俣宏の「風水先生」の刊行がきっかけで、風水の大ブームがおこり、そこからです。
気の流れを制御するとすでに書きましたが、わずかにその考え方の名残はあるようです。
「玄関から気が入るから、すぐに階段があると、すぐに気が2階へ抜けてしまうからよくない」・・・なんかはそんな感じがしますよね。
中国では風水師の力は絶大で、都市づくりや高層ビル建設にも大活躍しているそうです。
香港に2社の某銀行の高層ビルがあります。それは互いに「気」でもって争うような建物形状をしており、世界中で「風水戦争」と話題になりました。
ひとつの高層ビルはライバルである相手の会社のビルに向かって、三角形のとがりを向けています。
(なんだか怖いですね。)
とがりを向けられた方は大砲のような形の大きなクレーン?を屋上に設けて、迎え撃つような形になっています。
実際に業績がそれで下がったり、あがったりしたという話があるようで、壮大な風水のスケールを感じさせます。
日本では方位によるラッキーカラーやおかたづけによる開運アップなど、ずいぶんと印象が変わります。
どちらが良い悪いという話ではなく、現代において、中国と日本では風水の印象が全く違うことは確かなようです。
方位を中心に平面図で判断する家相、気の流れをつくる風水
現代の日本でいわれる「家相」「風水」はいずれも、古代中国の風水の思想であるというルーツは同じですが、独自の変化を遂げ、また流派やそれぞれの専門家の独自の解釈や判断も加わっています。
風水は特に近年のブームもあり、風水による開運やインテリア、おかたづけによる開運などなど・・・バリエーション豊かで、楽しく親しみやすいものになっています。
家相と風水はいずれにしても、すでにアレンジが進み、ルーツとは少し離れている印象です。
したがって、両者の違いを無理に見つける必要もないのかもしれません。
むしろ古来からの様々な先人の方々の思いや解釈、経験がつまった「家づくりの文化」として素直に耳を傾けながら、楽しむ姿勢が大切かと思います。